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はじめまして
なにか、世の中が慌しくなってきました。
身の回りの出来事、気なった事など、載せて行こうかと思います。
はじめなので、私自身のお話をしたいと思います。

気づいたら長文になってしまいました。
ちょっとスピリチュアルな内容ですので興味の無い方はスルーしてください。

これは私が3才の時、現実に体験したお話です。
知人に、3歳の頃の記憶はあるかと聞くと、殆どの人は無いと答えます。
私は、この時期大変辛い思いをし、そして大変不思議な体験をしました。
今でもこの頃に体験した記憶は、消えずに残っています。
5~6年前から、3歳の時の自身の記憶がかなり鮮明に蘇りました。
今でもこの体験は潜在意識の中で、自身の生き方に影響を与えていると思います。

● 死の恐怖
私は、戦後十数年経って生まれた俗にいうオヤジで、東京は、世田谷の三軒茶という所で生を受けました。
今は、なにやらおしゃれな町という感じですが、当時は畑があちらこちらにあり路地に入れば舗装もされていない道が多く、道の真ん中に長方形の石が点々とありそこから落ちないように渡るといった具合で、雨が降れば靴は泥だらけといった状態でした。
まだ下水道も完備されてなく、バキュームカーが週に一回汲み取り来るといった状態で今でも、その悪臭の記憶があります。
傘の修理屋さんもあったりで、三軒茶屋は下町という雰囲気でした。
(今でも、下町という感じがあります)
3歳の私は、他の子供と同じようにその辺をふらふらと遊び回るのが日課でした。

3才のある朝の出来事です。
私は、いつものように目が覚め、立ち上がろうとしました。
しかし、立ち上がる事ができないのです。
直ぐさま布団の中から母を呼び「立てない」と大声で呼びました。
突然の事で、母は驚き「足に力を入れてごらん」と言いましたが、足に力を入れても、太ももは震えるばかり、一向に立つ事は出来ません。
この状態をみた両親は直ぐさま病院へ、という事になりました。
家から程近い、広尾の日赤病院に向かいました。

病院の診察室は、体育館のようにだだっ広い場所に白い布で仕切られ、他の患者さんも診察している、なにか野戦病院のような感じでした。
病院での診察は、血液検査、ハンマーでお皿を叩く脚気の診察、なにやらトランポリンのような(姿形は小型のトランポリン)フアフアした上を歩く診察、他の診察もしたと思いますが記憶にありません。
診察が終わり、私は椅子に座り両親は横に立って居ました。
そこへ医師が表れ診察の結果を告げました。

「病名は、小児麻痺、3ヶ月で...」 と言い首を横にふり、長くても半年と両親に告げました。
医師はこの内容が、幼い私には理解できないと思い私の前で話したのでしょう。
しかし、私には理解できました。
あと3ヶ月しか生きられない!!!

私はその場で「死にたくない」と泣き叫びました。
直に入院と医師は告げましたが私は病院で、一人で死ぬのがとても怖かったので、「入院は嫌だ、死にたくない」と何度も泣き叫びました。
たぶん手がつけられない状態だったのだと思います。
医師は、自宅で療養する事を許可し、自宅に戻りました。
自宅に着くと直ぐさま母は布団を敷き、「死にたくない」と泣き叫ぶ私を寝かせましました。
死を宣告され、寝る事など到底出来ず、何度も「死にたくない」と泣き叫びました。
母は、「死なないから大丈夫」と慰めましたが、先ほどの医師と両親の会話が理解できた私は、とても信じる事が出来ませんでした。
幼くても死とは全ての終わり、自身が消滅する事だと理解していたのです。
私は2、3日泣き続けたと思います。
泣くのも結構疲れるものだと今でも記憶にあります。
泣くのも疲れ果てた時、子供ながら死を受け入れざるを得ないと感じ、覚悟した事を今でも記憶しています

しかし、死ぬ前に一つ心残りがありました。
私の上には、姉兄がいて、小学校と中学学校へ通っていました。
学校へ行けず死ぬことが心残りだったのです。
母に、「学校はどんな所、何を教えてくれるの」と度々尋ね、姉兄にも学校で何を習ったと毎日聞きました。
私は、学校に行けずにこの世を去る事がとても心残りでした。

● 生き返る
発病から一週間程した朝、いつものように目が覚めましたが、この日はなにか気分が良く、立ち上がれるような気がしました。
私は、布団を退かし、ゆっくりと立ち上がりました。
「立てる」と大声で母を呼びました。
母は、驚いた様子で「歩いてごらん」」と言いました。
私は、ゆっくり足を前に出し、歩きだしました。
そして、直ぐに駆け出し、その辺を飛び跳ねて走り回りはしゃぎました。
母は、「本当に大丈夫なの」と数回言いましたが、「大丈夫」と答えました。
父は、「神様のお蔭だ」と、神棚に向かい合唱していました。
日ごろから「神様...神様...」などと、事ある事によく言っていた父は金光教なるものを信仰していました。
その後の病院の診察では、一時的に麻痺したのだろう、しかし奇跡とも言われました。


● 旅行先での不思議な体験
私の全治祝いもかねて金光教の本部がある岡山に家族旅行という事になりました。
私が3才の時は新幹線など無く、一般庶民は夜行の電車で夜通し走って目的地に行くのが普通だったようです。
車内は、椅子も壁も床も木という状態で天井はアーチ型をしていたと思います。
電灯は蛍光灯ではなく、白熱電球で白いカバーで覆われ、床は油のこもった匂いがしました。
初めて乗る長距列車は、とてもわくわくしましたが、やはり私は子供、いつの間にか眠ってしまいました。
眠っていると、なにやら周りがざわついているので目が覚めました。
午前0時を回っていたように記憶しています。
母にどうしたのかと尋ねると「トイレから水が漏れている」、そこで母の許可を得て、私は見に行くことにしました。
天井を見ると配管が直角に曲がり、繋ぎ目から水がポタポタと漏れていました。
席に帰り、暫くすると車掌がなにやらアナウンスしています。
母に内容を聞くと、もう電車は走れないので最寄り駅まで行き、今夜は近くの旅館で一泊するとの事、今では考えられないほどのんびりした話です。

駅に着くと私は、母に手を握られ、とぼとぼと旅館に向け歩き出しました。
駅を出ると大きな踏切があり、そこを渡り中ほどに差し掛かった時、踏み切りの少し先に、私の背丈ほどの高さの小さな信号機が目に留まりました。
いつもなら信号機は、手の届かない高い位置にあるので行ってみたくなり、母の手をそちらへ引っ張りましたが当然、母は「危ないから駄目」と言いました。
仕方なく私は、信号機に見とれながら視界から無くなるまで見続けました。

旅館に着くと大広間に案内され、既に数家族が島を作りガヤガヤとやっています。
私の家族もなにやら話をしています。
私は、先ほどの信号機が気になって仕方がありません。
踏み切りに行ったことが分かれば両親にめちゃくちゃ怒られる。
でも、見に行きたい。
罪悪感はありましたが、隙をみて部屋から飛び出しました。
先ほどの信号機まで結構な距離がありましたが一目散に走り、そして到着。
初めて見る小さな信号機、私はいたる所を触り感触を確かめました。
嬉しくてしかたない!
しかし両親は心配している、見つかれば怒られる。
嬉しさと、罪悪感が交差しました。

私は、信号機を触りながら、旅館に居る両親が探していないか、とても気になりました。
すると、不思議なことに私は旅館に居るのです。
もちろん、家族が見えているし、聞こえてもいます。
母が、きょろきょろ辺り見渡し、私の名前を呼び「どこへ行った」と怖い顔しているのが見えました。
「踏み切りだな」と言いゆっくり立ち上がり、父は苦々しい顔をしていました。
私は、見つかった、怒られる、と思いましたが少し安心しました。
意識だけの私は、母の後を追いました。
母は、トイレに行き私の名前を呼びました。
そして玄関へ、踏み切りへ来る事が分かり、自身の意識を踏み切りに戻しました。
ただ行きたいと思えどこへでも行けるといった状態でした。

私は、小さな信号機に戻り、信号機を触ったまま、微動だにしない私がいました。
自分の体を見ているのですが、怖いという感情は全くありません。
私は、意識だけの状態で信号機を触ろうとしました。

● この世の物は触れない
信号機を触ろうとするのですが、不思議な事に触る事が出来ません。
手からすり抜けてしまうのです。
目線を下にやるとレール、枕木そして置石があります。
硬そうなレールなら触れると思い、触ろうとするのですが、やはりすり抜けてしまいます。
これを例えるなら、煙や蒸気を触るような感じです。
違うのは、煙や蒸気は触ろうとすればフワフワとどこかへ行ってしまいますが、信号機やレールは微動だにしません。
私は、置石に手を差し込んでみました。
全く触っている感触が無く、そのまま手は奥まで入ってしまいます。

生を受けてまだ3年しかない私は、常識、非常識などわかりません。
「人間は、こんな事が出来るだー」などと思ったことを今でも記憶しています。
周りを見渡すと、真っ黒な闇の中、遠くにさらに真っ黒な山並みが見えました。
「ここにある物は全て触れないし、煙のような存在、でも何故?」
私は、何か恐怖感を感じてきました。
私は、このまま体から離れているのは、なにかまずい気分になってきました。
自身の周りを一周し、戻りたいと思いました。
すると、私の意識は体の中にありました。
私は、信号機を触り感触を確かめ「体の中に意識がなければ触れない」と理解しました。

母がそこまで来ている事を感じ、来る方向を見ながら信号機を触りました。
程なく母が現れいきなり「こらっ」と言われ、頭に軽く拳骨を食らいました。
なにやら怒っていたようですが、今経験した事象を話したいと思い怒りが収まるのを待ちました。
少し怒りが収まったところで沈黙、すかさず「自分が二人いた」と母に言いた途端、何の事か分からず、また怒り出すといった状態でした。
このままだと、父にも怒られると思いました。
私は、先ほどの大広間に連れ戻され、父親は私を見るなり予想通り、怒鳴りつけて怒っていました。
これは、何を言っても無駄だと思い黙っていました...


翌朝は雨でした。
今日も、この旅館に泊まるという事になりました。
誰かが花札を持ってきてこれで遊ぼうという事になりました。
生まれて初めて見る花札の絵柄はとても新鮮な感覚がありましたが、一枚気になる絵柄がありました。
それは、坊主という月の下に山のある絵札です。

坊主


昨日、暗闇の中で意識だけの状態で見た山並みとなにか何か重なり合っていました。
当時、3歳でしたが、直ぐに花札遊びを覚えました。
それほど昨日の経験は、強烈だったのだと思います。

私的な内容で長くなりましたが、このお話は現実に私が体験したお話です。
私の体験は、いわゆる体外離脱なのかなーと思います。
よく眠っていて、意識が離脱し...という話を聞きますが、
私は、起きている状態で、これを経験しました。
オヤジなった今でも、レールは触れないような感覚が残っています。

死の瀬戸際まで行き、死は全ての終わりと思っていたが、実は違う。
誰かにそう教えてもらったような...感じがしています。
辛い経験をしましたが、貴重な体験ができたと、今では感謝しています。
不思議な事てありますね。

ありがとうございました。
続く

追記
下の写真は、小児麻痺が根治して3ヶ月後に撮った一枚です。
園芸用シャベルで土いじりをしている所に母親が来て、袖が汚れると袖をまくられ、その直ぐ後にカマラを持った父が現れ写真を撮ると言い出しました。
私は「写真は嫌だ」と言いましたが、無理やり母親に抱かれ、笑えと言われ「写真は嫌だ」と機嫌が悪い状態で撮影した一枚です。
バックにある建物は、私の家ですが、家というより小屋といった方が良いかもしれません。
当時の渋谷、三軒茶屋などでは、普通に見られる家でした。
現在よりははるかに物の無い時代。
でも、心は現在より豊かだったと記憶しています。

3歳の私‘

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